裸でワルサー 石本ひろゆき 2012年6月7日〜7月25日 連載。 (全8話)

第4話

暑くてたまらない。

蝉の音がまた僕の身体にまとわりつく。
こんな日にはマスターのカキ氷を食べないわけにはいかない。

「マスター、カキ氷、メロン」
「あいよ」

夏休みはこの店は暇だ。まずいが量だけが多くて安い。
これは学生にとっては天国のような場所でいつも満員だ。
だが学生には夏休みが二ヶ月もあってこのあいだはポツンと取り残されてしまう。
まるであの公園のように。

「で、いつやるの」
 といつもの調子でバケツ半分くらいはあるようなカキ氷と
 お代わり自由のメロンシロップをテーブルに置いた。

「なにを」
「さあ」
「ねえ、マスター」
「なんだい」
「俺のガラクタに事件ってあるかい」
「ないよ」
「やっぱりアーティストは事件がなきゃ駄目なのかなあ」
「勘違いしてるみたいだからさ、言っておくけど」
「なんだよ」
「事件を起こしてもジュンちゃんの作るものに事件は起きないよ」
「よくわかんないよ」
「そうかい」
「なあ」
「普通さ、ここでドラマとかじゃマスターの昔話とかが聞けるはずなんだけど」
「ドラマじゃないからなあ」
「なあ」
「なんだ」
「やっぱこのカキ氷多いよ」
「じゃ、頼むなよ」

今日も蝉がうるさい。

僕はまたあの公園でブランコを撮った。
何もなかった。
空色のベンチに座って空を見上げたけれど女の子は落ちてこなかった。
代わりに猫がじゃれてきた。白地に茶色や黒の斑がまだらにある雑種の猫だ。
どこから何を食べているのかはわからないが、野良猫であるにもかかわらずやせ細ってはいない。
僕以外の誰かがここで餌を与えているのかもしれない。

コンビニへ行って猫缶を買った。戻ってきたらせっかく買ったのに猫はいなかった。
猫缶のふたを開けてセブンスターを吸っていると遠慮がちにあの猫がやってきてチロチロと下を出して食べ始めた。 この猫に名前をつけなかった。名前を付けずにただ「猫」と呼ぶことにした。

僕はブランコに乗ることにした。

大の男がこぐと結構怖いことになる。
遠心力はすぐに遊具の限界を超え、運動神経の鈍い僕はバランスを崩して転げ落ち、
勢いのついたブランコは僕の背中に襲い掛かった。
「猫」が馬鹿にしたような目でこっちを見るので
僕は身体中が痛いのを我慢して「猫」に襲い掛かろうとしたが、
さすがに野良の獣だ。俊敏さが違う。
カバンのワルサーで撃ってやりたいが残念なことにモデルガンでは銀球ひとつ撃てやしない。

誰もいなくなった公園で僕は大の字になって寝転がっていた。何もかもが面倒くさくなっていた。
「特別」であろうとすることも、「普通」でいようとすることも、
かたくなに「家族」に会わないでいようとすることも。蝉がうるさい。
今日も僕の身体にまとわりつく。

「黙れ!」

一瞬蝉の音がやんだ。僕を包んでいたあの薄膜も吹き飛んだ。
僕は笑った。まるでそれが合図だったかのように蝉の音はまた僕の身体中にまとわりついた。
もちろんあの薄膜も。

「こんにちは、土足で上がります。お兄さんとお父さんに会ったほうがいいと思います。
 なんでしたら今から車を出しますので連れて行きます」

国道沿いのカフェでドライカレーを食べながらマスターに
父親のことを相談していたらナオが突然、本当に土足で踏み込んできた。

「いいんじゃない」

ちょっとマスター。そりゃあないよ。
さっきまで自分が思う通りにしたらいいっていってたじゃないか。

襟首をつかまれて僕はナオのワンボックスカーの助手席に放り込まれた。

「いくよ。市民病院だっけ」
「そうだよ」
「なんでいかないんだよ」
「いったら絶対聞いちゃうからさ」
「母さんのこと」
「そうだよ」
「根っからマザコンだな」
「そうだよ、文句あっか」
「あるよ」
「なんで」
「ママには勝てないだろ」
「なんだそれ」
「ねえ、ジュンペイ」
「マスターが赤軍の生き残りって知ってる?」
「知ってる。このへんで事件があると必ず警察に連れて行かれるんだ」
「そっか」
「おまえはどうなんだよ」
「こんなことに土足で踏み込んでくる奴は大体なんかあるんだよ」
「ないわよ」
「ある」
「たぶん、オヤジだ」
「ちがうわよ」
「オヤジがなんかしたんだろ」
「土足で踏み込まないで」
「手順を踏んだら、礼儀正しく帰されるんだろ」
「お父さんがゲイなのよ」
「え?」
「満足した」
「腹いっぱいだ」
「デザートあるよ」
「今度にするわ。まだ僕のメインディッシュがあるからな」
「そうね」

坂を上りきったところに市民病院があった。
オヤジの面会を頼むと隔離病棟に案内された。

「結核ってやっぱり大変な病気なんだね」
「そりゃそうさ。昔は結核ってだけで文学できたんだから」

病室に入るのも消毒をしたりマスクをしたりして大変だ。
オヤジは寝ていた。
僕は小さくなってしまった親父を見て、なんだか笑いそうになった。
オヤジは予想以上に痩せていた。もともと細身の人だったがあれじゃまるで骸骨だ。
危篤だというのは兄貴の嘘だ。どうしても僕とオヤジをあわせておきたかったらしい。

「ジュンペイ」
 見舞いを枕元に置こうとしたとき、オヤジが目を覚ました。
「なんだよ」
「ありがとう」
「どうも」
「こちらのかたは」
「ジュンペイ君の友達です」
「いつもありがとうございます」
「いえいえ」
「いつ死ぬの。兄ちゃんが危篤だっていってたから」
「もうすぐ退院だよ。今じゃ結核で死ぬ人なんて少ないよ」
「やっぱり。じゃ、帰るよ」
「ジュンペイ」
「なに」
「母さんを許してやってくれ」
「わかんないけど、たぶん難しい」
「ねえ、ジュンペイ君のお父さん」
「はい」
「ずっと聞きたかったことなんだけど、
 どうしてジュンペイ君の母さんはジュンペイ君を刺したの。殺したかったの」
「おい」
「わからないんです」
「やっぱり病気だったのかなあ」
「違うと思うんです」
「だったらどうして」

 僕は声を荒げた。

「だから父さんは母さんを理解するためにあの宗教にのめりこんだんだ。わかってくれ」
「ねえ、父さん」
「なんだ」
「もし父さんに僕を刺せって御告げがあったら刺すかい」
「刺せるわけないだろ」
「母さんは刺したんだ」
「ああ、その場にはいなかったけどな。確かに母さんがおまえを刺したんだ」

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