裸でワルサー 石本ひろゆき 2012年6月7日〜7月25日 連載。 (全8話)

第6話

アトリエのガラクタ一切合財をワンボックスに押し込んだ。

「期待すんなよ」

僕は自分の作品を置いてくれる画廊を探すためにナオに車を出してもらった。

「あんた車ないの」
「ごめん」
「あんた免許持ってないの」
「ごめん」

ナオはパーラメントに火をつけてハンドルを握った。

「あんたほんと駄目駄目だね」
「駄目駄目さ。しょうがね」
「なんかふっきれた」
「ふっきった」
「へえ。今なら抱いてあげてもいいよ」
「なんていった」
「なんでもない」

どこへいっても断られた。僕よりもナオが熱心に売り込んで、僕よりもひどく悔しがった。

「兄さんに会ったんだ」
「すごいね」
「兄さんを殴ってやった」
「すごいね」
「今度母さんにも会うんだ」

ナオは車を止めて僕にキスをした。

「あたしがついていってやろうか」
「だいじょうぶだよ。ありがとう」

十時から回って午後六時八時間労働の結果は
リサイクルセンターでしょうがなく引き取ってもらった五千円だった。

「ほい、約束のパーラメントワンカートン。ほんじゃマスターの店いってなんか食うか」
「あんたかわったね」
「かわったんじゃないよ。かわることにしたんだ」
「今のあんたならだかれてもいいや」
「なんだって」
「なんでもない」
「ナオのいうとおり、あの家の一階を半分画廊にしようと思うんだ。
 僕だけの画廊。僕がいいと思った作品をいいと思うやりかたで紹介したいんだ。
 だからあのガラクタはいらなかったんだ。捨てるつもりだったから、
 金になっただけ、ラッキーだったんだよ」

あのガラクタは僕にまとわりつくガラクタだ。きっとそうだ。
電話があった。兄貴からだ。

「明日、空いてるか、母さんに会える」

その日書いた自画像は油蝉にまとわりつかれた男を書いた。

夢の中で僕は汗で溺れていた。
昨日描ききった自画像はマスターに「ちょっといいね」て言われたはずなのに真白なままで。
姿見で自分の身体を映すとのっぺらぼうだ。
夢の中でも僕は三脚とカメラとワルサーと猫缶をもって公園に行った。
いつものように何もないはずだった。
ベンチに猫缶を置いて、そのあいだにいつものように揺れないブランコを撮って、
猫がきたら、猫を撮る。
それだけのはずだった。
割の合わない人生が今日も始まるはずだった。
母親に殺されかけたのにアーティストの「ア」の字もない、
割に合わない今日が始まるはずだった。
でも公園についてみるとブランコが揺れていた。
少女が裸足でブランコをこいでいた。
白いワンピースでこいでいた。
ゆらゆらとこいでいた。
身体を振り子の慣性にまかせていた。

それは危うい繰り返しのように思えた。

少女のスカートがひらひらと舞い、どこかにいってしまいそうで、
それをギリギリのところで引き返そうとするそんな繰り返しのように思えた。
繰り返しを僕は追った。
催眠術にかかったみたいだ。
いつのまにか蝉の音が聞こえない。

少女は揺れている。

僕は自分を思った。

ああ僕は揺れているのだと思った。

僕はブランコだ。
どこにもいけずただいったり来たりしているブランコだ。
確か高校の物理で習った。
振り子は常に進行方向とは反対の力が加わる。
だからいつも引っぱられている。いつもいつも引っぱられている。

単振動。

たしかそうだ。はは、笑えるな。僕は単振動。いやな思い付きだ。

ファインダーを覗き、少女をとらえようとした。
少女はフレームにあらわれたり、外れたりしている。
表情をとらえようとした。泣いていて欲しい。僕は勝手にそう思った。
そう思って少女の顔をみたが、もちろん泣いてなどいない。
ああ、やっぱり僕は陳腐だ。
少女がひとりブランコに乗っている。
その姿に天使と涙を想像するなんて、いまどきちゃちな恋愛ドラマでもやりはしない。
少女はただ、ただこいでいた。それだけだった。

どのくらい時間がたったのだろう。

僕はファインダーを覗いて、少女はブランコをこいでいる。
僕はシャッターを押さなかった。なぜか、押さなかった。むしろ僕はブランコに乗っていた。
実際にはブランコをこいではいないけれども、少女とシンクロしてこいでいる感じがしていた。
僕は揺れていた。それで十分な気がしていた。
どうせ、写真なんて僕にとっては生きるいい訳だ。
こんな気分がいいのにシャッターを押すなんて馬鹿げている。

僕は単振動。
ブランコも単振動。
少女も単振動。
いつもいつも引っぱられて揺れるだけ。

本物はここでシャッターを押すのだろう。
だけど僕はシャッターを押せない。いや押せるのだろうけれど、
押したところで結果はどうしようもないものが写るに違いない。そう考えると押せないんだ。

そろそろ気づけよ。

僕は揺れながら自分に言い聞かせた。

そろそろ気づけよ。
おまえは何者かにはなれやしない。
矮小なおまえでしかないんだ。
なりたいものなんかないのだろう。ただおまえはちやほやされたいだけだ。
そろそろ諦めろよ。みんな幻想だ。今朝も鏡の中の自分を見ただろう。
おまえは何かをやる顔なんかじゃない。
何もできない顔だ。
おまえはこうして揺れるしかないのだ。
いや正直に言えば揺れてさえいない。
揺れているのは少女であっておまえではない。
おまえは揺れることすら出来ずにただ揺れるのを眺めて
疑似体験をしているのにすぎないんだ。
おまえはニセモノにすらなれない。

母さんがおまえを刺したのはおまえが特別だったからじゃない。
おまえの母親が特別だっただけだ。おまえが刺されたのは偶然だ。
思い出してみろ、肝心なことは何一つ思い出せないじゃないか。
ホンモノを思い出せないおまえはニセモノですらない。
そうだ。僕はニセモノですらない。

高校のとき、みな単車に乗った。もちろん無免だ。
浮かれたように爆音を鳴り響かせて国道を走った。

命が揺れるんだ。そんな風に友達は言った。
僕は命を揺らせたかった。
でも僕は自分の家の前をジグザグに蛇行する友達の姿を見ているだけだった。

きっと治安の悪い街の学校ではどこでもあるように同級生が単車で事故って死んだ。
みんなは泣いていた。でも僕は羨ましかった。あいつは向こう側を越えたのだ。
僕が超えたい超えたいと思っている向こう側を誰よりも先に飛び越えたのだ。
そう思うと憎たらしいほどに羨ましかった。

僕はあれから、母に刺されてから、これっぽちも超えていない。
単車にも乗らず、ブランコにも乗らない。そして超えたことも覚えていない、
超えた事実すらついこの間まで知らなかった間抜けだ。
僕は知っている。もう終わりだということを知っている。
特別であることに意味を持たせてはいけない。
下らない僕は下らなく生きていくしかない。

そう思うのに、なんだこの胸の痛みは。
なんだ、このやるせなさは。
もうファインダーは覗いていない。

僕がこうやって自分を責めていたら突然、少女が消えた。
少女はブランコから飛んで、宙を舞った。

それはまるで自殺のようだった。

同じ場所を繰り返し繰り返し揺られていた身体が
突然引力を失って引きちぎられるようにブランコから飛び出した。
少女は放物線を描いて地面に落ちた。
主のいないブランコが不規則にゆれている。
僕は恐る恐るブランコに近づいた。

少女は黙って走り去った。

僕は揺れるブランコをこぎ始めた。
大人が全力でこぐとブランコはすぐに悲鳴を上げた。
空はひっくり返った。僕は空に投げ飛ばされた。
背中に強くて重い痛みが走って目の前が真暗になった。

目をがさめるといやになるくらいの夏だった。

8月16日。
僕を刺した母親はきっと僕が超えられない何かを越えたのだと思う。
明日、母親に十三年ぶりに会いに行く

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