裸でワルサー 石本ひろゆき 2012年6月7日〜7月25日 連載。 (全8話)

第7話

空が泣きそうだった。

空色のドアを開けるとナオがワンボックスの前で立っていた。

「送ってくれるのか」
「まさか、あんたが断ったんじゃん」
「じゃ、なに」
「営業」
「営業?」
「知らなかった、うちの実家工務店なんだよ、ほいデザイン画」

 ナオがデッサンしてくれた画廊は僕の予想してた通りのものだった。

「頼むよ」
「予算は」
「ナオが適当だと思う範囲で」
「金あるの」
「母さんがくれた金、まだあるんだ」
「じゃ、はじめるよ」

 その一言で、パネルやら足場やらの建材が運び込まれた。

「いってくる」
「いってらっしゃい」

駅前で待ち会わせた僕らは新幹線にのって大阪へ向かった。
お盆の真っ最中で僕らは自由席で据わるところもなく、ただ立ち尽くしていた。
それから何度か電車を乗り継いで、僕らは山奥の小さな町に降りついた。雨が降っていた。
兄貴に言われるがままタクシーに乗り、三十分ほど走ったら、「ここだ」と兄貴が言った。
そしたら太陽があった。

雨の中で太陽が光っていた。

気がついたらアトリエのベッドで仰向けになって寝ていた。
僕には母親に会いに行こうとしてから今までの記憶がない。
思い出せるのは雨が降っていた。それだけだった。
雨が強くて、靴下までびしょびしょになるような雨だった。そうだ、雨だった。

「母さんに会いに行ってぶっ倒れたんだよ」とナオがいった。

そうだ。僕は兄貴といっしょに母さんに会いにいったんだ。
母さんは教団の本部で修行していると聞かされたんだ。
教会の門はきれいに掃き清められていた。
僕は教会のシンボルマークらしい太陽をかたどった黄金の紋章に心を奪われた。
最近できたであろうこのオブジェは安っぽくてただ光っていた。

「いらっしゃい」信者の声に誘われて門をくぐろうとしたとき僕のイメージがひっくりかえった。

僕は突然過去にいた。母親から刺された事実を知ったとき、
母からもらったお守りをどぶに捨てたあの情景が蘇る。
お守りの中身は太陽だった。太陽はどぶの中でじっとしていた。
流されていくものだと思っていた僕は動揺した。
全てを捨てるというのはきれいに流れ去るものだと思っていた。
でもお守りはどぶの底にべっとりひっついて流れていかない。
僕はペットボトルのコーラを買ってきて、流れろ、流れろ、
そういいながらお守りにコーラを流した。
でもお守りは流れていかない。どうしても流れていかない。

「なんで流れないんだ」

僕は叫んだ。叫んだら、空がひっくり返って地面にぶつかった。
雨が僕の頬をうった。信者の誰かの身体をゆさぶった。
見慣れない足が見える。聞き慣れない声が聞こえる。
境界線がどんどん曖昧になっていって、いつのまにか目だけになってしまった。

目だけになった僕はさらに過去へと向かう。

目に見えるのは十三年前の実家だ。あのときだ。母さんが僕を呼ぶ。
「あなたの幸せのためなんだからね」と僕を抱きしめた。
うれしくなって僕も力いっぱい抱きしめた。

激痛が走った。

僕は母さんを見た。

「あなたのためなんだからね」そういってまた強く抱きしめた。
その顔はすまないとも悲しいとも優しいともとれる能面のような顔だった。
僕は「助けて!」と叫んだ。叫んだ拍子に僕はまたブラックアウトした。

目が覚めても力が抜けてしまって僕には何もできなかった。
ただ太陽を見ていた。時間がふやけている。僕の部屋で僕の時間はふやけている。
空気は暖かい液体のようで僕の精神と身体は浮力を得てふわふわしている。
目が太陽を追う。南東に開いた窓から光が差し込み、南側の出窓にうつり、
いつのまにかフェードアウトして暗くなる。

僕はこんなにも一日を感じて生きた日々はなかった。

一日は確かに二十四時間あるらしく、昼は確かにあるらしく、
夜は確かにあるらしく、朝は確かにあるらしい。
今まで僕は太陽の動きとは関係なく生きていた。
ああ、そういえば昼だったとか、いつのまにか夜だったりして
学校の先生が一日は地球が一周まわることで、二十四時間あるんだよ、
と教えてくれたから僕は一日というものを知っているだけで、
本当に太陽は東から昇って西へ沈むのか知らなかった。

太陽も実は「もうやめた」と全てを投げ出したくなるんじゃないかと毎日、
毎日、太陽の行方を見ていたが、やはり太陽は毎日東から昇り西へ沈んだ。

僕は何もしなかった。もしかしたら呼吸もしてないんじゃないかと、
呼吸の数を数えようとしたが、意識するとどうやって息を吸っていいのかわからなくなって
僕は苦しくなって咳き込んだ。
咳き込んだと同時に身体に神経がもどって僕は起きあがった、
ふらふらして倒れるとテーブルの上の何もかもを落とした。
ガシャンと音がしたら作業着姿のナオが飛んできた。

「起きたの」
「うん」
「わたしわかる」
「ナオだろ」
「よかった」
「なにいってんだよ」

このアトリエには兄貴とナオが連れ帰ってくれた。
僕が倒れてしばらくすると僕の携帯が鳴って兄貴が出たらしい。
ナオはあのワンボックスですっ飛んできたらしい。
その後の僕の記憶はあいまいでナオや兄貴のことすら認識できなかったそうだ。

「動けるなら、風呂入ってきなよ。身体中変な文字が描いてあるから」

鏡をみたら僕の身体じゅうに太陽の文様が描かれてあった。
腕にも背中にも顔にもみな太陽が描かれていた。

「なんだこれ」
「神様の文字だって」
「神様の文字」
「そ。笑っちゃうよね。神様ってバカなんで、
 自分が話す言葉じゃないとわかんないんだって。
 もっと勉強しろってんだよ、なあ」

シャワーを浴びた。タオルでゴシゴシ洗うと存外取れた。
顔は洗顔用の石鹸で洗っても取れないので、
女が置き忘れたクレンジングオイルで落とした。

階段を下りると小粋な画廊ができていた。

「あとは電気関係とかだね。外装はそうする、あのままにしておく、それに看板とか」
「看板ぐらい自分で作るさ」
「そうだね」

その夜、コンビニで猫缶を買った。
ベンチに座ると、「猫」は安心して僕に近づき、膝の上に飛び乗った。

僕はびっくりした。

今まで「猫」は野良とただの通りすがりの男という関係が崩れることはなかった。
一生崩れることはないと思っていた。だが、突然「猫」はその関係を飛び越えてきたのだ。
僕は初めて「猫」に触った。恐る恐る触った。思ったよりヒンヤリしていた。
肩甲骨なのだろうか、肩の骨が隆起している。
その隆起したところを触ると気持ち悪くなって、膝の「猫」を放り投げた。
「猫」はなんでもない顔をして足元におかれている柔らかいえさを食べ始めた。
食べ終えると、僕は右足を振り上げ「猫」を思い切り踏んだ。
「猫」が逃げる。僕は「猫」を追いかけた。
最初の一撃でどこかを傷めたのか、「猫」はすぐに捕まった。
「猫」は抵抗した。爪をたて、僕を引掻く。
僕は後ろ足を持って「猫」を振り回し、力任せに地面にたたきつけた。

その日書いた自画像はナイフを持っていて、まとわりつく薄い膜を切り裂いていた。

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