もっと陽の当たる場所 石本ひろゆき 2011年11月3日連載開始。(全10話)

第2話

ここにくるまで、僕は小さな劇団の脚本を書いていた。

いつもはすらすら出てくる嘘が出てこない。
書いても、書いても、上手な嘘じゃなかった。

半分は書けた。あと半分が書けない。

じゃあ最初から書き直そうとしても半分までしかかけなかった。
何度も何度も半分の物語を書いて、そのたびにあとの半分がかけなかった。

詩のように書こうとしたがだめだった。
小説のように書こうとしてもだめだった。
そして言葉にあふれて僕の世界は頼りなくなった。
眩暈がする。呼吸するたびに頭の中がねじれていく。
僕の手が僕のものじゃないような気がしてくる。音と光が無差別に僕に入ってくる。

稽古初日の三日前になっても僕は書けなかった。バイトを休んで僕はまた物語の半分を書いた。
詩とも小説とも脚本ともいえない何かだった。

僕はこの詩とも小説とも脚本ともいえない何かをもって家を出た。

世界が歪んでいた。ズボズボと道が沈む。
僕はあわてて部屋に戻り精神安定剤を頬張りハイライトに火をつけた。
そこからあまり覚えていない。

気がつくと公演日はとっくに過ぎていて、僕は少しばかりの金と、詩とも小説とも脚本ともいえないたくさんの書きかけの物語をリュックにつめて、どうしようもない格好で、どうしようもない気分で国道を歩いていたんだ。

地下道を出ると商店街の入り口で、右にスーパーマーケットがあって、自転車が歩道の半分を埋め尽くしていた。いつのまにか曇り空になっていた。湿った空気がゼリーのようで重かった。もう陽がかげっていた。赤色に染まるのは一瞬で、すぐに夜になった。街灯に照らされた商店街の端から端までを二度往復して、たくさんの人とすれ違い、たくさんの人を追い抜いた。

僕は歩きながら赤い喫茶店で見かけた女たちのことを考えていた。

青色のワンピースの女はきっとアルコール中毒で、町中の男と飲み歩いてはやっかいごとを起こしているに違いない。ピンクの女は風俗嬢で陽の見えない部屋で男と自由恋愛という名の春を売っているんだ。そしてオレンジの女は飛ぶ。

ビールを買って、僕はまたあの地下道にもどった。
ホームレスの数は増えていて、道の両脇が埋まっていたが、昼間僕が座った場所だけがポツンと空いていて、まるで「おいで」と手招きしているようだ。ビールを飲んで、僕は昼間とおなじように膝を抱えて、ハイライトを吸った。
空缶を灰皿代わりにして三本吸った。

ハイライト。

もっと陽の当たる場所。名前とは違って濃くて深い煙には陽だまなんてどこにもない。

階段を上って商店街のほうに出た。昼の顔から夜の顔になっていた。

早仕舞いの店はシャッターを下ろし、昼間ひっそりとしていたレストランやバーやゲームセンターのネオンが道を染めていた。ミニシアターがドキュメント映画のオールナイトイベントをやっていて、キャバクラのチラシをもらって、パチンコに負けた不機嫌そうな男とすれ違い、僕はまた通りの端まで歩いた。古本屋はもうしまっていた。その先に進もうとして足が止まる。何かバリアがはっているかのようだ。商店街の境界線から僕は出られない。
どうしても出られない。

まただ。

今朝も自分の町に帰ろうとして、帰れなかった。
電話をしようとして、できなかった。
ようやく買った切符で午前中ずっとプラットフォームで立ち尽くしてしまって、何本も何本も電車を見送って、やっと乗れたのは町から遠のく反対側の電車だった。

仕方がないので回れ右をした。

今度は地下道をくぐらず横断歩道をわたった。

駅の入り口で僕の足はまた止まってしまった。バス乗り場でも足が動かなくなった。
僕ではない何かが僕から身体のコントロールを奪う。

僕は目だけになってしまい、また商店街に戻ろうとする。僕は自分自身を取り戻そうとすると身体が硬直してしまい、息が荒くなって過呼吸になってしまう。

地面と僕が溶接されたみたいで、僕の周りの空気が僕を固める。意識が遠のく。僕の努力は徒労に終わった。気がつくとまた僕はあの地下道でハイライトを吸っていた。
僕は、この町に閉じ込められてしまった。

缶ビールとハンバーガーを買って路地裏のミニシアターにいった。中に入るともうはじまっていて、どうやらどこかのバレエ団のドキュメント映像のようだった。ハンバーガーを食べている間、スクリーンの中でインタビューを受け答えしていた彼女たちが、食べ終わると同時に踊りはじめた。

小さなスクリーンの中の広い舞台でヒラリヒラリと、クルリクルリと舞い踊っていた。最初は拙い踊りが、インタビューを交えるたびに精緻になり、美しくなり、ヒラリとクルリとが何かを語り始めるようになると、インタビューはなくなり、彼女たちの群舞がはじまった。

僕はスクリーンの中に吸い込まれそうになって、彼女たちのヒラリとクルリが僕の世界を歪ませる。床がトロトロと溶けてしまう。

壁がユラユラと揺れてしまう。僕は怖くなってしまって、リュックの中から精神安定剤を取り出し頬張りビールで流し込む。

彼女たちは踊っている。

薬が効きだすと、今度は僕の身体のほうがおかしくなってくる。筋肉が弛緩してフラフラする。
世界は歪んだままだが、不安は消える。そして言葉が僕を襲う。

彼女たちは踊っている。

リュックの中から言葉が溢れる。詩とも小説とも脚本とも言えない何かが僕を包んでいく。
書きかけの物語の主人公は僕に囁く。

続きはどうしたんだい。僕をどうしたいんだい。悲しみの岸に引き上げるつもりか、笑いの空に打ち上げるのか、どうしようもない絶望に沈ませるのか、救いの手を差し伸べるのか。まさか革命の銃弾をぶちこむつもりかい。

書きかけの物語の主人公は僕にキスをする。
書きかけの物語の主人公は僕を抱きしめる。
書きかけの物語の主人公は僕に祈る。

解放してくれと。

このリュックの暗闇から解放してくれと僕に哀願する。

彼女たちは踊っている。

僕はリュックから僕の言葉をつかんでばら撒いた。言葉という言葉を僕はつかんでは投げた。
書きかけの物語の主人公は泣いた。鬱陶しいほどのむせび泣きだ。

彼女たちはまだ踊っている。

僕はどうしようもない。

映画が終わって、客席に明かりがついた。世界は歪んではいなかった。
リュックも何もかもがそのままだった。

客席は僕のほかには熟睡している労働者と一組のカップルとあのオレンジの女がいた。

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