もっと陽の当たる場所 石本ひろゆき 2011年11月3日連載開始。(全10話)

第6話

「本当ですか、うれしい、ありがとうございます」

彼女の興奮した声で目が覚めた。
「おはよ。今日も一日つきあってもらうからね」
返事の代わりに手をあげた。それより今はニコチンとカフェインの補充が必要だ。
テーブルの上のハイライトに火をつけて、昨夜の残りのコーヒーを口に含んだ。

「今日はどうするんだい」
「オープニングの再現よ。あの喫茶店と映画館が撮影OKだって」

ピンポン。

ドアの前には男が二人立っていた。ひとりはひょろ長い痩せた男で、もう一人は黒いスーツを着て「暑いよ、やっぱり」と笑った。
痩せた男が「こいつがそうなの」と僕を見た。
彼女は「そうよ、わたしがひろったの。路地でにゃあにゃあ鳴いていたから」
僕がさっぱりわからないって顔をしていたのだろう。彼女が僕に紹介した。やせた男が、カイ君で、きのう追い出した男の代わりで、スーツの男はモロ君で、彼は「飛ぶんだよ」と言った男の代わりだそうだ。

「ちょっとノート貸して」
彼女は僕からノートを受け取ると、カイ君とモロ君に最初の数ページを読ませた。カイ君が、「じゃあこの部分が撮れてないってことになるんだよな」
モロ君も腕組みしながら「俺はいいとして、カイがあの野郎の代わりをするのはちょと難しくないか。だって後から本人が出てくるんだろ。この追い出すところで」
「そこは編集でなんとかする。カイ君の顔を写さないようにしたらいいし」
「ルルとエリナはどうするんだよ」
「それは話がついた」
「どんな話だよ」
「クランクアップの打ち上げはルルの店でやることにしたし、そのときのエリナの飲み代はただにした」
「俺たちは」
「わたしの友達でしょ。それに今度は自分で映画を撮ればって、そそのかしたのはあんたたちじゃない」

僕はどういうタイミングで挨拶や話のなかに入っていけばいいのかわからなかったので、冷蔵庫にあった麦茶を人数分いれて、彼女たちのまえに置いた。

「どうも、よろしくお願いします」と頭を下げた。
「芝居をやってるんだって」
「やってました」
「じゃ、だいじょうぶか」
「なあ、最初からユウコが回すのか」とモロ君が彼女に聞いた。
「映画館で出会うまでは私のことも撮ってほしいの」
どうやら本当にあのときの再現をするみたいだ。

カイ君の運転で僕はまたあの商店街に戻ってきた。蝉はやっぱり泣いていた。彼女は一昨日のオレンジのシャツにデニムのスカートで、僕とカイ君はあの男が残していったTシャツを着させられた。カイ君は洗濯したてのもので、僕はまだ洗濯していない汗臭いものだった。

後部座席で僕はまたふわりと浮きそうになって、彼女が僕の手を握って「だいじょうぶだから」と励ました。僕は安定剤を水なしでボリボリと噛んで、ハイライトばかりを吸っていた。カイ君とモロ君は何か技術的なことを話していたけれど、僕にはさっぱりわからなくて、ただカーステレオからはボブディランが転がる石のように、風にふかれて、天国のドアをノックしていた。

百円パーキングに車を止めて、僕らは赤い喫茶店にむかった。赤い喫茶店は定休日の札がかけてあって、ドアの前に青色の女とピンクの女がいた。

「はやくやっちゃおうよ」と青色の女は言った。

赤い喫茶店のドアがあいて、マスターが「いつでもいいよ、ユウコちゃん」と僕らを招いた。カイ君とモロ君が機材を運んだ。マスターが時計を三時前にあわせた。ピンクの女が「あたしルル、よろしく」といって奥のテーブルに座り、煙草に火をつけた。青色の女が窓際のカウンターに座って携帯電話をもって「ねえ、ユウコ、どうしたらいいの」と聞くと、カイ君が「今、台本書いてるから」といらついた声で返した。「あたし演技なんかできないからね」と同じようにいらついて、「わかってるよ」とさらにいらついた声で返した。オレンジの彼女はモロ君と打ち合わせして、僕はひとりだった。

準備にもう少し時間がかかるというので、僕は地下道へ向かった。相変わらずホームレスがいて、まるで指定席のように僕が座る場所が空いていて、僕はまた座り込んでハイライトの深くて濃い煙を吐いた。

モロ君の指示で僕らは何度も同じことをやらされた。店に入る僕を外から、中から、アップで、引きで。「そこまでやらなくてもいいのに」と彼女は言ったが、モロ君たちは許さない。青色の女は何度もギャハハと笑い、ピンクの女は何本も煙草をもみ消した。彼女は何度も美味しくなさそうな「美味しい」を繰り返し、カイ君は封筒を受け取り、モロ君は「飛ぶんだよ」と叫んだ。

僕はそのあいだコーヒーを飲んでハイライトを吸った。

モロ君とカイ君は少し興奮していているようだ。「去年はもっと凝ったよな」と言っているから多分彼らは毎年自主映画を撮っているんだろう。

青色の女のイライラがあの時とそっくりだ。もう終わらないかなと時間を気にするピンクの女もあのときのままだ。彼女は通販カタログを見るのがとてもつらそうで、洒落でもってきた宅建の教則本と聖書を読むところも撮った。

すべてが撮り終わって、みんなが出て行こうとすると僕はまた世界が頼りなくなって精神安定剤をコーヒーで流し込んでハイライトに火をつけたら、あの時と同じように世界がぐるりと回って椅子から転がり落ちた。テーブルからこぼれる褐色のしずくが頬に落ちてくる。彼女がカメラを回しながら「だいじょうぶ」と聞くので、うなずいて、立とうとして、立てなくて、またひっくり返って意識が飛んだ。

気がついたら映画館で僕はノートに『男が時間を気にして、手を差し出した。女は「そうね」と言って封筒を鞄のなかから出した。封筒を受け取ると男はコーヒーを一口飲んだだけで出て行った。女は男を目で送ったあと、ようやくコーヒーを飲んで小さく「美味しい」と言った気がした』と書いていた。彼女は「これってわたしのことですか」と声をあげて、それでも構わず『ピンクの女が煙草をもみ消した。時計をもう一度確認すると財布をもってレジに向かった。入れ替わるようにまた男が入ってきた。今度の男はまだ外は暑いというのにスーツを着ている。またオレンジの女の前に座った。赤いカップのコーヒーを飲んで、小声で何かを相談して、男が最後に「飛ぶんだよ」とわざと他人に聞こえるように言った。それきり二人は黙ったままで、コーヒーを飲み終わると、男が出て、しばらくうつむいていた女が席を立った』を書き終わったところで、彼女は僕のノートを奪った。 カイ君がカメラを回していて、モロ君がモニターをチェックしていた。

「それってまだ書きますか」
「ええ、書きますよ」
「わたしを書きますか」
「ええ、あなたも書きますよ」
「わたしはあなたを撮りたい」

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