もっと陽の当たる場所 石本ひろゆき 2011年11月3日連載開始。(全10話)

第7話

僕は何がなんだかわからなくて、彼女とカイ君とモロ君が「これきっといいドキュメンタリーになるよ」と言い合っていて、僕はノートにまだ何かを書かなければいけないような気がするのだけれど、手が止まってしまい、どうしても書かなければいけないのに書く手が止まる。

それであの老作家のように書きかけの詩とも小説とも脚本ともいえない何かをリュックから取り出し、破り、ばら撒いた。

物語の欠片が舞い落ちる。
言葉が散る。
男と女の、親と子供の、社会と個人の、言葉が舞う。
愛に冷めた男を振り向かせようと女はジャンプし、久しぶりに帰省した男が何かが変わったと心が揺らぎ、キャンドルの火の灯りのなかで秘密を分かち合う。
死んだ婚約者へのスピーチ。
死んだ妻からの手紙。
母親の恋人はいつまでも父親ではなくて、ラブソングとラブレターが舞う。
働く男は老人をだまし、結婚式場はゲームセットとプレイボールの声がかかる。
もてない男はいつまでも約束を守り続け、冬の空の青色は憂鬱で、蝉の泣く声はとてつもなく夏で、秋の月に酔っ払いがゲロをはき、春の桜の下には死体なんか埋まっちゃいない。
子供がプレゼントを待っている。
それは美しい花束か、正義の剣か、慈愛に満ちた手紙か、それとも金か。
交差点で僕は待つ。約束の終わりを終わらせるために。
偽りは優しくて、真実は過酷で、言葉は一瞬でも現実を忘れさせ、言葉は永遠に何かを刻み込む。
あれから僕はのっぺらぼうだ。現実に奥行きがなくなった。
平面のモノクロ画面に灰色の記憶が塗られていく。

それからどうしたの。
それからはひどかった。ひどくてどうしようもなかった。
ひどくてどうしたの。

いつのまにか僕は君の部屋にいる。君は僕の性器をもてあそび、カメラを回している。そして聞くんだ。ひどくてどうしたのって。

僕は殺したんだ。僕を愛するひとの心を殺したんだ。僕を好きだと言ってくれるひとができたんだ。僕と結婚してくれる人ができたんだ。

僕はあれから家を飛び出していて、どうしようもなくて、寂しかったから、僕はすぐに結婚しようと思ったんだ。好きじゃなかった。でも好きでいてくれるだけで、無条件で僕を好きでいてくれるひとができて僕はうれしくて、うれしくて、それだけで僕は結婚を決めたんだ。

結婚するのに親たちと和解してくれと言われて、僕は伯母さんのところに帰ったんだ。すると僕はまたおかしくなってしまった。伯母さんは彼女を気に入らなくて、すぐに別れなさいと命令する。僕は逆らいたいのに、子どものころのスイッチが入って、まるで催眠術にあったように、うん、別れるといって、彼女はおかしくなった僕を見て同じようにおかしくなって、ある日空を飛んだんだ。

それで、どうしたの。

君は聞くんだね。
服を着たまま、パンツだけ脱いで、僕の上に乗って、そしてカメラを回しながら聞くんだね。それでどうしたのって聞くんだね。
それからはますますひどくなったよ。
彼女は死ななかったよ。でも僕と彼女の子どもが赤い花となって彼女のスカートを染めたよ。僕は誓ったよ。必ず幸せにするって。でも家に戻ると少年時代に掛けられた催眠術が僕に、ちゃんと別れるよと言わせるんだ。

それから。
君は聞くんだね。
僕が君の中に僕を押し入れているあいだにもカメラを回して僕に聞くんだね。それから僕はもっともっとひどくなったよ。彼女も伯母さんもみなひどくなっていったよ。夏の終わりだったよ。雨が降っていた。傘がまったく役に立たないようなドシャ降りの朝だった。その日はいつもより早く出勤したんだ。朝出さなければいけない報告書がまだ書き終わってなかったから。駅に着くと急におなかの調子が悪くなって、これはしばらくこもらなきゃいけないなと思ったら、僕は僕の身体のコントロールをなくしたんだ。気がついたら新幹線に乗っていたんだ。

それで町につかまったの。
つかまったよ。でもつかまったって思うまで僕はただ呆けてたんだ。結婚資金を使い切るまで僕は呆けていたんだ。
大晦日だった。
大晦日って家族が集まる日だと思っていた。だから僕が定宿していたカプセルホテルはガラガラだと思ったら、家に帰れない男たちであふれていた。
そのとき僕はやっと自分が逃げ出したことに気がついたんだ。
僕は発狂したよ。小さなカプセルの中で紅白歌合戦を見ながら、うわあって叫んだ。うるさいって怒鳴られて、僕はシーツを噛んで叫び声を抑えた。
僕は逃げたんだ。逃げたことで僕は僕を好きでいてくれたひとの何かを確実に殺したんだ。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。

僕が殺した。きっと殺した。僕のなかの何かを親たちが殺したように。僕は帰ろうと思った。でも帰れなかった。僕は町に閉じ込められてしまっていたから。それでね、僕は白状するよ。ほっとしたんだよ。彼女の何かを殺したくせに、僕は町から出られないことにほっとしたんだよ。あとはノートに書いてある通りさ。

今度は何を殺したの。
まだ聞くんだね。そうだね、君もまだいってないし、僕もまだ吐き出していない。
そうだよ。殺したよ。
僕は東京に出てきて二つのことをした。ひとつは医者にかかることだった。医者は言ったよ、君の病気は解離性障害だって。
子供時代のトラウマが原因で意識が飛んだり、逃げ出したり、違う人格が生まれたりするんだって。
僕はまたほっとしてしまった。
僕が彼女を殺したんじゃない。病気が殺したんだって。
それから僕は薬物中毒になってキャンディみたいに精神安定剤を飲んでいる。

もうひとつは芝居をすることだった。
現実から逃げ出した嘘つきの僕は虚構の世界で生きていこうと思った。何を裏切っても、芝居だけは裏切らないようにしよう、そう決めたんだ。

虚構の世界で僕は自由だった。でも突然僕は嘘が書けなくなって、絶対裏切らないと決めた芝居を放り投げて、僕はまた飛び出してしまった。そして僕は、僕の芝居仲間と僕自身の何かを殺してしまったんだ。殺しておいて、またその原因を子供のころの悲しみのせいにしようとしているんだ。すべての失敗を、愚かさを、裏切りを、罪を、僕の悲しみのせいにして生きているんだ。僕の悲しみはもう純粋じゃない。

悲しみが汚れたのね。
いいや。悲しみを汚したのさ。
そう、汚したの。
もう、いってもいいかな
きて。
僕は僕を吐き出した。

朝、目が覚めて、裸の彼女が僕の寝顔を撮っていた。
「おはよう」
「おはよ」
彼女は笑った。
「いいの、撮れた?」
「うん」
僕は「よかったね」と言った。それから僕は一行も書けなくなった。

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