もっと陽の当たる場所 石本ひろゆき 2011年11月3日連載開始。(全10話)

第5話

いつのまにか彼女はカメラで僕を撮るのをやめていた。

男のドンドンというドアを殴る音も、哀願する声もなくなった。僕は床に投げ捨てられた灰皿を拾い上げ、男が残したマルボロに火をつけた。彼女は玄関先でぐったりと呆けている。くわえ煙草のまま濃いインスタントコーヒーを二ついれる。

ひとつを彼女に、もうひとつは自分のために。

マルボロはやっぱり少し弱いなと思いながら、コーヒーを胃に流し込む。腹が減った。今日もちゃんとしたメシを食い損なっている。

神経がヒリヒリする。良くない兆候だ。世界の野郎、今度は歪まずに僕に無差別攻撃するつもりか。リュックから精神安定剤をボリボリかじってコーヒーで飲み込む。

彼女は僕を見ている。僕はノートをひろげて何もかもを書き出す。書き出していく。タクシーのなかで話した老作家のように。僕は書いている。いけない。まだフワフワしている。彼女はまだ僕を撮っている。ときどき目を向けるとすぐに笑顔になる。目をそらすと多分笑顔が固まって、徐々に無表情になっていくのだろう。

「あのとき、わたしは通販のカタログを見てた」
僕は彼女を見た。彼女は笑っていなかった。

「あのとき、あなたがわたしをあの喫茶店で発見したとき、わたしは通販のカタログを見ていた。いつもならお金があったらこんな家具を買って、あんな服を着てって妄想を楽しめるのに、あの日は違った。あなたの言うとおり、資格の本か聖書を読んでいればよかった。そうすれば、わたしはあのひとと別れ話をすることもできたし、最初の企画どおり、わたしはあのひとのために飛んで、そのさまを見るあのひとを撮ることをできたかもしれない」

「そんな顔をするなよ。なぐさめて欲しいって顔で僕を見るな」

彼女は返事をせずに黙ってカメラを回した。僕も黙って言葉を書いた。

なぜか僕はカレーを作っていた。いっしょにスーパーにいって、食材を買い、ハイライトをワンカートン買った。
金は彼女が出した。出演料だそうだ。
部屋に戻ると「じゃ、つくって」とレジ袋を渡された。
なんでも彼女は僕を撮るのと僕のノートを読むので忙しいというのだ。

玉葱をみじん切りにして炒める。人参、南瓜、を細かく切り刻み、挽肉といっしょにまた炒める。ホールトマトと水を足してコンソメを入れて煮た。
彼女は僕が料理を作る姿を嬉しそうに撮っていた。煮えるまで、ハイライトの煙を吸った。換気扇が鍋から出る湯気と煙草の煙を外に吐き捨てる。

「どうして映画を撮ろうと思ったんだ」
「人生のいいわけよ。あなたはどうしてこんなもの書いてるの」
「それが知りたくて書いてるみたいなもんだよ」

鍋にカレールーを入れながらそうこたえた。

夏野菜のカレーを僕らは普通の話をしながら食べた。音楽の話とか映画のはなしとか、好きなもの、嫌いなもの、どうでもいいもの、そんな普通の話をした。食べ終わっても話はつきなかった。

久しぶりに人と話している気がした。たぶん、本当に久しぶりなんだろう。そのあいだ彼女は僕を撮り続けた。僕は彼女のことを聞いた。彼女は普通のOLだと言った。文房具メーカーの事務で、好きになるのは駄目な男ばかり。関係が悪くなるのはいつだってお金のこと。

男がお金を借りたいというたびに胃の底がグニャリとねじれる。
またかと思う。
最初は小さな金額で、必ず返してくれる。
そのうち返さなくなって、金額も大きくなる。言い訳もしなくなって、そしてわたしの限界がやってくる。
今回もそうだ。
わたしはあのとき最後の賭けに出たんだと思う。

わたしはみんなからちょっと変わってるって言われる。変わってるって言われるとくすぐったい気分になる。すこしも自分で何か変わったことをしたわけじゃないから。ただちょっと思考回路が他人と違っていただけで、特別なことなんてなにもなかった。

わたしは小さいころ変わってるって言われただけで、自分は特別な存在なんだと思ってた。でも、実際はどこにでもいる女だった。

でもどうしても特別になりたくて映画を撮ろうと思ったの。

でもいざ撮ろうと思ったら、何を撮っていいかわからなくなったの。だからわたしを撮ろうと思った。わたしを見ている人を通してわたしを撮ろうと思ったの。

彼女も僕のことを知りたがった。

そんなものお安い御用だ。
僕の生い立ちなんてもう何度しゃべったかわからない。

女の前で、友達の前で、病院で、役所で、僕は自分の生い立ちをしゃべってきた。
もうスラスラと言える。

すべてのはじまりは小学校四年生のときだった。
僕は養子に出されたんだ。父さんと母さんに、お前ならできる、と言われて、大人扱いされて、少し有頂天になって、僕は、うんって言ってしまったんだ。それで僕は伯母の家に養子にいくことになった。

養子先で僕を待っているのは中年の女性と寝たきりのお婆さんで、他は誰もいなかった。僕はその家の子供を演じた。僕は完璧に演じた。だってそうしないと生きていけなかったから。養子に行って何もいいことはなかった。お金持ちではないし、寝たきりの祖母の介護をしながら、僕は毎日家に帰りたいと願った。でも、言えなかった。だって父が、母が、頼むと言ったから。

伯母は僕の全てを監視した。暗い部屋で僕は泣くことも許されない。僕が泣くと伯母も祖母も泣く。おまえのためにこんなに頑張っているのに、おまえはどうしてわかってくれないんだと泣く。僕は困ってしまって、それからはもっと伯母の言う通りの人生を演じようと思ったんだ。

部屋は牢獄だった。
いつでもインターフォンが入っていて祖母が耳をすまして聞いていた。友達も伯母の許しがないとつくることすらできなかった。生家に帰りたくても帰らせてくれない。

だけど僕は自分を全部押し込めて、へへへと笑っていた。
どんなに寂しくても、どんなに帰りたくても、へへへと笑っていた。
僕は思ったんだ。多分僕は口減らしなんだって、僕には兄弟が四人いて、その割には父の稼ぎが少なくて、それで僕は養子に出されたんだって。
僕が養子に行けば、父も母も兄弟たちも助かるんだと思って僕は自分を殺して、へへへと笑って、胃に孔があいても、へへへと笑っていたんだ。

友達のいない僕はただひたすらに勉強した。大学に入って、ようやく生家に帰ることができた。
僕は「ただいま」を言おうと思った。
そして家族から「おかえり」と言って欲しかったんだ。
「ただいま」を言った。
そしたら家族は「いらっしゃい」と言ったんだ。
「おかえり」とは言ってくれなかったんだ。

その日、僕がなぜ養子に行かなければならないのか聞いてしまった。なんて言ったかわかるかい。「神のお告げ」で養子に出したって言うんだ。いわゆる新興宗教にはまっていた僕の母親は、季節はずれのイモリが出てきたのを見て、それが不思議で教団に教えを請うたら、僕を一刻もはやく養子に出せ、とお告げがでたんだって。それで養子に出したんだって。

家庭裁判所反対した。両親がそろっている家庭から母ひとりの家に養子に出すのはおかしいと言って、養子縁組を認めなかった。

そしたら僕の母と伯母は裁判所で口裏あわせのように、こう言った。

僕が伯母さんの家がいいと、生家には帰りたくないと言っている。そして約三年の年月と母たちの証言で僕は法律上も伯母の子供になったんだと。

それを聞いて僕は何がなんだかわからなくなって、頭がぐるぐるして地面が融け、世界が歪んだ。
僕の努力はイモリの気まぐれのためだった。
僕の我慢は神のお告げだった。
僕の演技は誰のためでもなかった。
僕の身体はバラバラになって、大切にしなさいと、母からもらったお守りをドブに捨てて、僕はどんな風に歩いているかもわからず、ただ目だけになってしまって、そしていつのまにかその目も閉じてしまった。

僕の銀行口座に百万円が振り込まれていた。

それが僕のあの家を舞台にした芝居の出演料だったんだ。


それで。


それからはひどかった。ひどくてどうしようもなかった。


「ねえ」
「なに」
「あさってまで有休とってるから、それまでつきあって」と彼女はベッドからソファで寝ている僕に言った。僕は「いいよ」と言った。
彼女は寝てしまった。僕は書いている。精神安定剤を飲みながら僕は書いている。

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