もっと陽の当たる場所 石本ひろゆき 2011年11月3日連載開始。(全10話)

第8話

ピンクの女の店は商店街の路地を少し曲がったところにあった。カウンターとボックス席が二つだけある小さなスナックで、青色の女がもう飲んでいた。
カイ君もモロ君もやってきた。飲んだ。うたった。青色の女が一番飲んで、一番絡んできた。

「あんたユウコの新しい男なの」
「何言ってるんですか、僕はただの出演者ですよ」

そう言ってると、ボックス席のほうからカイ君の突拍子もない声があがった。
「ハメ撮りしたの」
「そういう言い方しないで主観でセックスを撮っただけよ。もともとそのつもりだったし、彼も嫌がらなかったから」
「そういうのハメ撮りっていうの」
「だからそういういやらしい言い方しないで」
「でも、このノートを見ると結構ちゃんと使ったほうがいいよ、その画」
「エンディングはなに」
「やっぱ朝の挨拶でしょ」
「コーヒーの滴で終わるのもいいね」
「ちょっと勝手に構成考えないでよ、私の作品なんだから」

青色の女とピンクの女が僕と彼女たちを見比べながら笑った。

「カイ君とモロ君は彼女のことが好きなんですよね」
「そりゃそうよ」と二人声を合わせて言った。
「この町は小さいから目立つ奴のことはみんな知ってるよ。わたしたちのことをみんな知ってるようにね。あいつらのことも知ってるよ。この町で映画を撮るなんていってるのはあの三人だけだからね」
「好きなんだからさ、ショックならショックだと言えっちゅうの」と青色の女がウィスキーのグラスを傾けると、ピンクの女が「それより創作意欲のほうが勝ってるみたいね、今は。でも家帰って泣くのよ、あいつら」と笑う。
「告白しないんですか、あの二人」
「したよ、何べんも」
「そんたびに、友達でいようねって」
「残酷ですね」
「そうよ、そんであんたみたいな駄目男にほれる」
「だから僕はただの出演者で」
「あ、あたしの曲だ」
そう言って僕の言葉をさえぎると青色の女がジャニス・ジョップリンをうたった。
半端でない声量が僕らを圧倒する。
切なげで悲しげで、アルコールとニコチンに良くあう声だった。みんなが聞きほれていた。

ピンクの女が僕に言った。
あの子は昔シンガーだった。メジャーデビューしてたった一枚のCDがでたきり、売れなくて契約が切れた。昔からアルコールが好きだったけど、今ではアルコールなしじゃ生きていけなくなった。
あの子の声を聞くたびに思う。いい歌と売れる歌は違うんだって。

「曲の途中ですみません」と彼女が叫んだ。
「主演のサトウさんにギャラを渡します」
彼女が僕にくれたのは新しい靴と細身のジーパンと黒に何か英文がプリントされているTシャツだった。みんなが一斉に拍手をした。それを合図に青色の女がまたうたい出す。

「着替えてきて」と彼女が言った。
僕は店のトイレで、ガムテープでグルグル巻きの革靴を脱ぎ、両膝がパックリあいているジーパンを脱ぎ、借りていたTシャツを脱いで、歯でタグを噛み切り、新しいジーパンと新しいワークブーツと新しいTシャツを着た。

新しく生まれ変わったような気がした。

でもそれは錯覚だ。錯覚なんだと自分に言い聞かせた。トイレからでると入り口で彼女がカメラを回して待っていて、「うん、よく似合う」と言った。 店の中は青色の女のライブ会場と化していた。
曲の合間に彼女の回すカメラに向かって「あたしはアル中だ」と言い切った。

「あたしはアル中だ。悲しいことが多くてアルコールなしじゃ生きていけなくなった。だからこの町のお酒にまつわるやっかいごとにはたいていあたしの名前がついてくる。もしかしたらもう誰もあたしと飲んでくれないかもしれない。でもね、あたしは台所で、ひとりで飲むようなことは絶対にしない。きのうまでも、今日も、明日からも。絶対に誰かと飲むんだ。無理やりにでも誰かと飲むんだ。ひとりで飲むのなんて悲しみの無駄遣いさ」といってまたジャニスを絶唱した。

狭いスナックで、青色の女の声で、彼女はカメラを回し、みなが踊り狂った。

「ちょっとだけ編集したのがあるから見て」と彼女はいつもはカラオケの画像が流れるモニターに、僕を映し出した。それは僕がカレーを食べながら彼女の身の上を聞き、自分の生い立ちを話すカットから、映画館のロビーでリュックの中から物語を書き連ねた紙束を破っては放り投げるところへスムーズに移っていった。

画面の中の僕は笑っていた。どうしようもなく笑っていた。

「いいよ、わからないけど、いいよ」とカイ君が言った。モロ君もううんとうなってうなずいた。彼女は「この映画にあなたのノートの言葉の一部をナレーションにいれたいんだけどいいかな」
「いいよ。もうギャラもらってしまったし」というとみなが笑った。

僕も笑った。

僕はそんな幸せな時間と空間に耐えられなくて、外にでた。少し歩くと小さな公園があって、街灯に照らされた木の枝で一対の雌雄の蝉が交尾をしていた。尻と尻をつき合わせて、むせび泣きが届いて、ようやく一対になった彼と彼女は悲しげな射精と、切なげな受精をしていた。

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